山に囲まれた信州・伊那谷。リンゴ畑に囲まれた桑澤家の庭に立つと、緩やかな傾斜の先に天竜川、その向こうに南アルプスと八ヶ岳連邦が望めます。
桑澤直人さん・里早さん夫妻の家は、この恵まれた環境を取り込んだ、開放的な住まいです。家の南面と東面には、全面開放できる木製建具を回し、その外側に、軒の出が2メートル以上ある土庇をかけました。家の中と外が、濡縁を介してつながっています。大開口部を開け放つと、伊那谷を吹き渡る風が緑のにおいを運んできます。土庇が、夏の強い日射と雨風から、一家の暮らしを守ります。
外とつながるこの居間は、家族がもっとも長い時間を過ごす場所です。幼い子どもたちが駆け回る姿を見ながら洗濯物を畳んだり、テレビを観たり。休日、縁側で飲むビールが最高なのだとか。冬は、掘りごたつで身を寄せ合うようにして過ごします。
夫妻が家を建てる時に希望したのは、掘りごたつ、縁側、木製サッシ、手づくりのキッチン、土間だったそうです。そうした要素がひとつに融けあった家に流れるのは、懐かしさを感じる空気。里早さんが集めた骨董家具が、最初からこの家で歳月を重ねたようになじんでいます。
「現代的なものよりは、昔風のものに囲まれている方が落ち着くんです。家を建てる時も、古民家を移築するのもいいと思いました」
直人さんは反対に、古い造りの民家で生まれ育ったため、重厚な家は望みませんでした。
「大きな家は掃除が大変(笑)。それに、生活する場所は限られているでしょう。寝るとことと食べるところがあればいいんと思うんです」
こうして、開放的で、自然との一体感がある日本家屋のエッセンスを取り入れて、家族4人の身の丈に合った家ができました。
昔の日本の民家に伝わる知恵を、
現代の暮らしにも
家に望むものがはっきりしていた桑澤さん夫妻ですが、それを形にできるつくり手と巡り会うまでには紆余曲折がありました。
「自然素材を謳った工務店や設計事務所を訪ねても、木製サッシや掘りごたつ、縁側などはできないと断られたんです。全部できると言ったのは、アトリエデフさんだけでした」と直人さん。
素材について、深い話も交わせました。集成材や合板を使っていても木の家と呼ばれることや、そうした風潮の中で履歴のたどれる国産材だけを使う意味を、デフの社長は詳しく説明したそうです。
土壁を提案したのもアトリエデフでした。それも、竹を縄でからげた小舞という下地からつくる本格的な土壁です。桑澤さん一家の暮らし方や、要望について話し合ううちに、日本古来の住まいの知恵を徹底して追及しようということになったのです。
「家が完成してから、朝昼晩に、外気温と室内の温度・湿度を測定しています。室内の温度と湿度は、ほぼ一定で、これが土壁効果じゃないかと思うんですよ」と、直人さんは分析します。
伊那は、降雪量は多くないけれども、凍えるほど寒い土地なのだそうです。昨冬の最低気温はマイナス12℃まで下がりました。でも、一家は薪ストーブ一台だけで過ごせたそうです。土壁が、薪ストーブの熱を蓄え、じわじわ放出するから、室温は低めでも快適なのでしょう。
「暖かくはないけれども、寒くはないという感じですね。夜中の授乳も苦ではありませんでした」と、里早さんは振り返ります。
働いてくつろいで、
家にいる時間が一番楽しい
桑澤さんの家は、2008年12月に完成しました。次なる目標は庭づくりです。計画では、雑木林のような庭になるのだとか。畑もつくります。
畑仕事は、里早さんの独身時代からの夢でした。福島県に農業研修に行ったこともあります。今年、畑に初めて植えたのは、ナス、キュウリ、大豆、セロリ、シャンサイ、インゲン、枝豆、ズッキーニなどなど。
「今年はたくさんの種類に挑戦してみました。その中から、この土地に合う作物が見つけられるといいですね。できるだけ広い畑にして、雑穀も育てようと思っています。自給自足が究極の夢ですね」
でも、長男の孝太君は4歳、長女のはなちゃんは1歳。まだまだ目が離せません。
「のんびり構えてます」と、畑で微笑む里早さんの傍らから、「そこ、踏んじゃだめだよ」と孝太君の声。お母さんの助手を立派に務めています。
休日は、畑仕事をする里早さんの横で、直人さんが薪割りに精を出します。割ってから2年間乾燥させるので、ストックが必要なのです。一家で汗を流し、疲れたら縁側で涼風を感じながら一休み。時間がゆったりと流れていきます。
桑澤さん一家の暮らしに触れていると、家が労働の場であり憩いの場であった、少し前まで普通だった日本人の暮らしに想いが及びます。いったん切れかけた大事なものを、桑澤さん一家は楽しげに結び直しているように見えます。
「この家ができてから半年。思った通りの暮らしをしています」と、里早さん。家にいるのが楽しいから、外出する回数がめっきり減ったのだそうです。





