2014.3.25 the

電気のはじまり。

今日は、
日本にはじめて電灯が灯った
「電気記念日」。

1878年(明治11年)の今日、

虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で
東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の
開局祝賀会が開かれ、その会場に、
日本初の電灯(50個のアーク灯)
灯されたのだそうです。

ちょっと目を閉じて、
そのシーンを思い浮かべてみてください。

電灯に照らされた会場に集まった人々の
興奮した笑顔が見え、
歓声が聞こえてくるような気がしませんか?


私は、送電網とは無縁の独立型太陽光発電を
いち早く始めていた自家発電師匠
全面的に協力していただきながら、
我家のベランダにDIYでソーラーパネルを
設置して3年になるのですが、

自分の部屋にはじめて
「太陽の灯り」が灯った夜を思い出すと、
今も思わず笑顔がこみ上げ、
胸の中がじーんとあったかくなります。

そうやって、太陽や機材たちの力を借りて
自分で使う電気を自分でつくるようになるまで、
私は毎日電気にお世話になりながらも
電気について考えてみたことなど、
ほとんどありませんでした。


「あって当たり前のモノ」でしかなかった電気に、
心から“有難さ”や愛しさを感じるようになったのは、
師匠の導きで自分の手と頭を使って電気を作り、
電気に親しみを感じるようになったから。

そして、自家発電した電気を使いすぎて
バッテリー切れになる、という失敗を通じて、
夜の闇に灯る小さな電球のありがたさに気づき、
電気が限りある貴重なものであることを
知ったからだと思います。


136年前の今日、
はじめて電灯の明かりを目にした人々も、きっと、
闇を照らす電気の明るさと不思議さに目を見張り、

あの晩の私と同じような気持ちを味わったんじゃないかな…

そう思うと
何だか、時空を飛び越えて
見知らぬ彼らと抱き合えるような気がしてきます。


自家発電を始めてから電気に興味が湧き、
あるとき電気の起源をさかのぼって調べてみたら、
「静電気」「磁石」「雷と稲妻」にたどり着きました。

「電子」を意味する「エレクトロン」という言葉は、
「琥珀」を意味する「エレクトラ」というギリシャ語に由来し、
“琥珀を絹の布でこすると羽毛や軽いものを引きつける”
という、ギリシャの文献に残る紀元前6000年頃の発見が
もとになっているのだと知り、へぇ〜!とビックリ。

また、中国、日本、トルコ…などの古い書物には
鉄などを引きつける「磁石の不思議」が、
人が電気を感じた始まりとして記録されているそうで、
小学生時代に磁石で砂鉄を集めた理科の実験で感じた
ドキドキとワクワクを、遥かぶりに思い出しました。

電気の研究と発展に大きな影響を与えたのは、
アメリカのベンジャミン・フランクリンによる、
雷雨の中で凧を上げ、凧糸から伝わってきた稲妻から
電気をとらえた、1752年の実験だったとのこと。

ちなみに、雷は「雨+田」と書き、
言葉の語源は、「神鳴り」。

「稲妻」という言葉は、

神が鳴って天から田んぼに電光が差し込むと
稲の実(米)が豊かに育つことから、
稲を孕ます夫=「稲夫(イナヅマ)」
と名づけられたのだそうです。

(昔は「夫」も「妻」も「ツマ」と発音していたので、
 途中で漢字が取り違えられたのだとか



一般的に、日本で雷が多い時期は夏で、
①気温も高く、雨や日照も多いので稲がよく育つこと、
②雷の放電によって空中の窒素が分解され、
それが雨で地中に溶けると栄養豊富な土壌になることが、
「稲妻が豊作をもたらすこと」の裏付けらしいのですが、

そんな分析はともかく、
目の前に現れる自然現象の神秘を
驚きと畏敬の念をもって感じ取り、
畏れと感謝と親しみを言葉や文字に表現した

昔の人々のセンスに、
なんだかグッと来てしまいました。



私たちは紛れもなく、
そんな歴史からつづく今を生き

日々のくらしを通して、
歴史を更新しているのですね。



「電気記念日」の今日はぜひ、
ひととき、部屋の電気をオフにして、
はじめて電灯が灯った日本の夜と
稲妻を見上げる昔のお百姓さんたちに、
心を重ねてみようではありませんか。


2014年3月25日(火)