2014.4.26 sat

電気をめぐる旅。

28年前の今日、旧ソ連、現ウクライナにある
チェルノブイリ原子力発電所
爆発事故が起きました。

2011年に福島原発の事故が起き
チェルノブイリの記憶が後退した感がありますが、
放射線量を測る活動をしている方の話では、
私がいる北海道の場合は
福島よりチェルノブイリ由来の放射性物質が
今も検出されるのだとか。

世界は本当につながっているんだと
つくづく感じさせられました。


人間の手に負えない
脅威のエネルギーを持つウラン。


それを、
カナダ・オーストラリア・カザフスタン・ナミビア(アフリカ)
などの
地下深くから莫大な資金と尽力をかけて掘り出し、
放射性物質がモレないようどれほど防御したとしても、
産地にも、運送経路にも、そしてもちろん、
目的地である発電施設やその周辺にも
何がしかの危険をまき散らしつつ、


海を通って日本に、そして、
原発を使っているすべての国々に、
電気をつくるための燃料として運んでいる、
という事実


発電機のタービンを回すお湯を沸かすために
そんな多大なリスクと巨額資金を投じることが
必要な発電方法なんて、
どう考えても非効率としか思えませんが、

原発について勉強を重ねるにつれ、
私は原発問題の本質は、放射性物質の危険性ではなく、
人間の利己的な暴力性ではないかと思うようになりました。

利己的な気持ちや、そこから来る暴力性は、
ほとんどの場合、視野の狭さに由来している気がします。

そして、視野の狭さの源は、多様性を知らないこと。
自分とは違う視点や考えを持つ人々や、
常に圧倒的な多様性を示してくれている自然
とのコミュニケーションが少ないと、
どうしても自分の小さな思い込みが強くなり、
それにとらわれがちになってしまうと思うのです。

この世のすべての人間の基本的な共通認識として、
「与えられた人生の時間を安心して楽しく生きる」
という目的があるならば、そのための手段は
多種多様な知恵を交わすことで
いくらでもクリエイトできる。


誰のところにもシワ寄せが行かない幸せを、
互いの個性を生かし合うことで達成できる。

私は世界を旅してそう確信し、
未熟ながらも自分なりのトライアルを重ねるうちに、
とりあえず電気代については
月200円台の生活となり、一年以上がたちました。



チェルノブイリ事故のあと、さらに福島原発事故を経て、
視野と意識が広がった人が、ジワジワ、グングン、
増えてきたような気がします。

原発問題の解決に必要なことは、
放射性物質の危険性を知ることや、
原発に反対することだけではなくて、


「電気」という代表的な生活用品を通して
自分と世界のつながりの事実を自覚し、
どこにもシワ寄せが行かない生活に向かって、
くらし方をリニューアルすること
ではないかと思います。



我が家では昨日から、
夜9時にはパソコン作業をやめて読書の時間とし、
10時には消灯することに決めました。

まだ始めたばかりの新しいトライアルですが、
パソコン作業を寝る直前までやるよりも、
ずっと深く眠れた気がします。



2014年4月26日・土曜日