ブログ
2021年01月20日

ほりさんの家

小姓町の家の構造見学会にいらして下さったのがきっかけで、ほかの工務店や住宅展示場には一切行くことなく、古民家ライフに決めて下さいました。建て主さんの予算内で、出来る限りシンプルな木の家、という大方針で合意し、それをどう実現するかという具体的な手法についてはお任せていただけたので、ある材料で造るなどの工夫ができ、いい家になりました。

外壁はウッドロングエコ塗装。壁の板はすべて、お施主様が古民家ライフの工場に通って、塗装されました。冬の雪をどうやって排雪するかは、山形で暮らす上でとても大切な要素です。この家では、屋根の雪がそばにある側溝に落ちるような屋根勾配と向きにしました。

家の中はほとんど間仕切りがありません。この写真には写っていませんが、階段脇に置いた薪ストーブ一台で、家じゅうがあたたまります。ストーブの設置場所まで土間になっているので、薪を運び込んだり置いたりするのに便利です。

1月にお訪ねしたのですが、冬でもTシャツ一枚と素足で過ごされていました。子供たちは家が暑いからと、寒波の中、半そで半ズボンで外で遊んでいました。

ご主人が消防隊員で勤務が不規則なため、夜中に帰ってきた時など、寝ているご家族に気づかれず休めるよう、玄関のすぐ脇に和室を造りました。赤ちゃん連れで来るお友達の授乳室になったり、お友達やご親戚がいらした時の宿泊場所にもなっているそうです。

正面がカウンターキッチンになっています。

二階にあがるシンプルな階段は、素通しとすることによって空気の流れと明るさを確保しています。土間のつきあたりに見える引戸は、外からの冷気を防ぐために玄関の内側にもうけたもの。これで玄関と室内土間との間に、山形には必須の風除室ができました。

間仕切りのほとんどない、広い空間を成り立たせるために構造計算すると、かなり太い梁が必要となりましたが、おおらかないい味を出しています。夜はこの梁の下にふとんを敷いて、ご家族全員で雑魚寝しています。右手奥にロフトにあがる梯子があります。ロフトはお父さんがひとりで籠もれる場所になっているようです。

その太い梁にはぶらんこがかかっていて、子供たちの大のお気に入りの遊び場になっています。

部屋に分かれておらず、一階と二階とも二つの吹き抜けでつながっているのがこの家の特徴です。空気の流れがよく、家全体が薪ストーブであたたまるのも、そのおかげです。

まだ工事中だった頃の写真をご覧ください。建て方初日を大雪の予報により延期したのですが、延期した当日が本当によく晴れてくれました。青空とクレーンって本当によく似合います。

棟が上がり、屋根がかかったところ。構造体がとても美しくみえています。

2021年01月20日

小姓町の家

山形市でも車通りの多い旧市街地(小姓町)の角地に建つ家です。昔は洋服店を営んでいた、お父さまのご実家があった場所が更地になり、駐車場になっていたところに、新築しました。

人通りも多いよく目立つところなので、外部からの視線を遮りつつ、家の中から見た時の閉塞感はないように、スリット状に木のフェンスを巡らせました。一階の外壁は、無垢の杉材にウッドロングエコを塗りました。2階は白洲そとん壁。時間を経てとても落ち着いた色になってきています。木の家がほとんどない山形の中心街において、街中のオアシスのごとく、景観に潤いをあたえる存在感をはなっています。

敷地がL型になっていて車をどこに停めたらいいか、配置に悩みましたが、建物の下屋部分の屋根を延長し、家と一体化した車庫スペースを作りました。

玄関扉をあけてすぐ右には、いつも花を活けられる奥様のために、玄関土間に水道を設けました。タイル張りの流しは、奥様が選ばれたものです。小窓のサッシの内側には、型ガラスを入れた木製建具を仕込んであります。

アウトドアや自転車が趣味の建主さんのライフスタイルに合わせて、玄関土間を延長させて、靴のままで家に入れるようにしました。とはいえ、室内領域と玄関空間とをやんわりとは仕切りたいので、格子戸とスリット壁を設けました。土間の隅においたペレットストーブは、排気口を通常より高い位置に出し、薪ストーブにも見えるようにしました。お湯を沸かしたりも出来るペレットストーブで、これ1台で、家じゅうが暖まる造りになっています。

土間から靴を脱いであがった、普段の暮らしのメインになる和室です。畳は熊本県八代市のい草表を使った鏡商店の「正直たたみ」で、ここにちゃぶ台を置いて暮らしています。襖の奥にコンセントを配置し、充電等はこの場所だけで行えるようにしました。物入の内側には全て無垢材の杉の板が張りました。

二階にあがる階段には、柱をもうけず、木の組み合わせだけで造った階段です。設計にも施工にも手間がかかりました。右手に見えるのは、この土間空間に車庫側から入ってこられる裏口で、ここから自転車を入れて、メンテナンス等出来るようにして、階段室と趣味の部屋とを兼ねました。板はあえてのこぎりの跡を残した風合いとしました。

二階は、将来、建て主さんのご家族が増えた時に部屋に仕切ることができるように、あとから廊下をつくることもできるような柱配置としました。

天井も床も、宮城県のくりこまくんえんの燻煙杉の無垢材を張りました。壁は漆喰の塗り壁です。

宮城県栗原市のくりこまくんえんさんの持ち山に、大黒柱にするスギを選びに行きました。きこりに指導してもらいながら、建て主さんご夫妻が自ら伐採するための追い口をつくる楔を入れます。

この木が家の大黒柱になるのです。

古民家ライフでは必ず上棟式を行って頂いています。この日は、よく晴れて、餅投げをしました。

上棟の喜びに包まれた建て主ご夫妻。とびきりの笑顔です。

2016年06月10日

月山の家

山形県月山の麓にあった座敷蔵を、鎌倉に移築しました。古民家ライフ株式会社は解体作業と部材の補修、そして建て方までを受け持ち、その後は、現地の協力会社である高棟建設工業様に引き継ぎました。古民家情報のWebサイトである「古民家ライフ」を見て、鎌倉の建て主さんが移築を希望されたのです。

この蔵は見事な建物でした。どうも元の持ち主は山持ちだったらしく、土台だけでなく、柱と梁もすべて栗。屋根の垂木はエンジュが使われていました。エンジュといえば、普通は床の間の柱に使われるとても貴重な木なのですが、何十本もある垂木全てがエンジュ。建設当時どれだけお金がかかったのか、想像もできません。

移築先である鎌倉は、敷地も、そこにつながる道も狭く、建て方には苦労しました。無事上棟を終えると、その後の作業は地元神奈川県の高棟建設工業さんに引き継ぎました。この家の設計も高棟建設工業さんによるものです。半年後に完成した家を見に行くと、古民家ライフでつけた柱の番付板が、そのまま残されており、胸が熱くなりました。

gassan_01
解体した部材。使われていた場所がわかるように、番付板をつけました。

gassan_02
座敷蔵の中から出て来た建具や欄間の数々。移築後に新しい使われ方が待ってます。

gassan_03
移築後の土台据え付け。基準線を出すのがとても難しかったです。

gassan_04
写現場は寄り付く道が狭く、総重量900kgはあろうかという松の棟木は、2つに分けて運びました。

gassan_05
無事に棟木が上がりました。一番緊張した瞬間です。

gassan_052
垂木を並べて行きます。全てエンジュです。およそ、ここまでで古民家ライフの仕事は終わりです。

gassan_06
建て方から半年たって、完成した家を見に行きました。これは外観。

gassan_07
キッチンとリビング。びっくりするほど住み心地の良さそうな空間に変わりました。

gassan_08
部材には、古民家ライフでつけた番付板が、そのまま残されていました。半年前に、苦労して解体した時のことが思い出されます。

gassan_09
階段には、蔵から出て来た古い時計が掛けられていました。これからも長い時を刻んでいくのでしょう。

2016年06月10日

土生田の蔵

tochiuda_01
改修前の写真

tochiuda_02
磨き上げられた床の間

tochiuda_03
違い棚も美しく

tochiuda_04
改修作業中に出て来た建具。細かい細工がセンスを感じさせます。

tochiuda_05
土蔵の分厚い扉「戸前」

tochiuda_06
写扉前の縁甲板には、磨き上げた檜を使いました。

2016年06月10日

高瀬の家

築、およそ120年の古民家と座敷蔵のリノベーションです。古いところはそのままに、ご家族の新たな住まい方も丁寧にお聞きしながらの仕事となりました。何度か改修がされており、直前は、広い家の中で和室8帖に集まって生活している状態でした。

玄関土間を復元して、近所の人が気軽に来ておしゃべりできる場所にし、北側のあった台所を、思い切って家の真ん中に移動し、対面式にしました。作業途中に、昔の時代の家の図面が出て来たのですが、それを見ると、今回つくった土間と台所が、創建当時とほぼ同じ場所にあり、図らずも昔の間取りを再現したことになり、驚きました。

母屋と続きの座敷蔵も、一階の居間と二階の寝室を吹き抜けでつなぎ、センスのよい空間として生まれ変わりました。建て主さんからは、「生活ががらりと変わった」との言葉をいただいています。

takase_01
改修前の写真

takase_02
生まれ変わった玄関土間。冬は、格子戸を閉めて風除室の役割を果たします。

takase_03
ちょっと腰をかけて、おしゃべりも。

takase_04
対面式のキッチンです。カウンターもついています。

takase_05
これが改修中に出て来た古い図面。かまどが、現在のキッチンと同じ場所にありました。

takase_06
改装した座敷蔵の一階。窓を広げて明るくしました。

takase_07
二階へは階段箪笥であがります。これも痛んでいたのを改修しました。

takase_08
一階と二階を思い切って吹き抜けに。閉塞感のあった座敷蔵が、全く新しい空間に生まれ変わりました。

2016年06月10日

見晴らしの丘の家

山梨市の見晴らし丘という、眺望が素晴らしい場所に建てた家です。地震にも強い「渡り腮(わたりあご)構法」を使い、仕口には車知栓を多用した、こだわりの木の家。もちろん、合板は一枚も使っていません。構造材には、山形県金山町のブランド材である金山杉を使い、板には宮城県の栗駒杉を採用しています。住みやすさと美しさ、それに強さを兼ね備えた家ができました。

miharashi_01
キッチンと階段、それとロフトが、吹き抜けの空間でつながっています。この家の見せ場の一つです。

miharashi_02
階段は軽やかにつくりました。

miharashi_03
奥に薪ストーブが置いてあります。断熱がきちんとされているので、これ1台で全館暖まります。

miharashi_06
階段の踊り場につくりつけたベンチには、畳表を使った「いぐさロール」をはってみました。肌触りが心地いいです。

miharashi_04
ロフトからの見下ろし

miharashi_05
天窓

miharashi_07
蔵王に向かう面には、縁台を設置しました。ここに腰掛けて眺めを楽しむのも、よいものです。

miharashi_08
畳敷きのリビングから蔵王を望みます。

miharashi_09
夜。家族が一体になれる、住みやすい家ができました。

2013年07月12日

嶋の家

床材に県産材の杉、洗面所には高畠石、和室の床の間には深山和紙など、多くの地場の自然素材を使用している。こうした魅力的な素材や優れた技術を積極的に使うことで後世への継承につながる。伝統的な工芸としてのみならず、実際に生活の場で使われていくことが地場産業の活性化を促す。また、階段のスチールの手摺や木製の家具も地元の若手の作り手に依頼し、顔の見える家づくりを目指した。
ものづくりはお互いの顔が見えることで安心感や愛着が湧き、その後も長いお付き合いができる。山形の特徴的な気候風土に素直に呼応しながらも、現代のライフスタイルに沿った間取りやデザインを模索したこの家が今後の山形の家づくりの足掛かりとなれば幸いである。 

piece_kominka_shima_1
大らかな屋根が家全体を覆う天気のいい日、デッキはリビングの一部となる。

piece_kominka_shima_2
奥様の料理スタイル、家族との団欒を考慮して作られた造作のキッチン。料理台とダイニングテーブルは天端を同じくしている。さらに食器洗い機を設置し、炊飯ジャーから簡単によそえるようなアイデアも盛り込んである。シンプルかつ高機能なキッチンとなっている。

piece_kominka_shima_3
和室小上がり。8畳ほどの和室はお客様が来た時に宿泊できるようになっている。小上がりの下には引き出しがついており、収納も十分出来る。

piece_kominka_shima_4
階段は製材所に眠っていた地松を使用。良い材料であったため表面からは釘やビス跡が見えない様に組んで造ってある。手すりはスチール製。階段手すりと玄関の取っ手は地元の若い作家に依頼して作ってもらう。

piece_kominka_shima_5
2人姉妹なので将来的には区切って使えるように入口が2か所ある。さらにロフトもあり空間の自由な使い方が出来るようになっている。

piece_kominka_shima_6
玄関に入って上をみ上げるとオリジナルのステンドグラスが見える。

2013年07月12日

山麓の家

全て国産材にこだわって造られた山麓の家。風景と一体になる住宅を目指して造られた。まだまだ完成形ではない。予算と時間の都合をつけながら今も少しずつ手を加えられ続けている。
心地よく住まう。ただただシンプルに考えて造られた山麓の家は小さな哲学と小さな足し算でこれからも造られ続けていく住宅です。

piece_kominka_sanroku_1
軒の出は最大で150cmある。周囲の軒を深く出しているので、雨が直接外壁にかかりにくい。そのため、経年変化による壁の変化が見てとれる。

piece_kominka_sanroku_2
奥様の強い希望によって造られた作業場。趣味は陶芸。ワークショップでみんなで塗った壁はとても味がある。

piece_kominka_sanroku_3
築160年の古民家を解体した時に頂いてきた靴箱が置いてある玄関。ここに置くものを、数年かけて見つける。家づくりには時間が必要です。

piece_kominka_sanroku_4
4枚立ちの障子があり、光が差し込む。奥に見える箪笥は庄内地方の箪笥。

piece_kominka_sanroku_5
平屋に見える住宅ですが、2階建の申請をしている。ですから中に入ると、外見からは想像もつかないぐらい伸びやかな空間が広がっています。梁は地松。

piece_kominka_sanroku_6
階段の板は楢材。虫食いヶ所もあるが、それはそれで一つの味になっている。

2013年06月27日

古民家ライフ

古民家から学んだ技術や知恵を生かしながら住宅を造っています。
しかし、それは昔に戻るという事ではありません。
進化したいいモノはどんどん取り入れ、残すべきところはしっかり残す。

古民家から学ぶ、現代版木組みの家。
ちょっとの不便さを生活の楽しみに変えられる、そんな住宅を造り続けていきたいです。

2013年06月26日

高木 孝治

19歳で父の死
古民家再生をめざす

photo_moribito_takagi_21

古民家ライフで、移築再生する蔵。屋根と土壁を落とし、躯体だけにした状態。

私は代々、高木傳五郎(でんごろう)を襲名する高木家の11代目当主として、また10代目の父から始まった工務店の2代目として福島に生まれました。小さい頃の遊び場は材木置き場、玄翁(かなづちのこと)やのこぎり、材木の切れ端が遊び道具、遊び相手はうちに出入りしている大工さん。家の中には木屑が常にどこかに落ちている。そんな環境で育ったので、将来は家業を継ぐものと幼心に思っていました。小学生低学年の頃の文集には「大きくなったら大工さんになる」と書いています。

しかし、すんなりと今に至っているわけではありません。高校を卒業し、建築家をめざして大学を受験するも、失敗して浪人。その年に父が1億5千万もの借金を残して亡くなりました。工務店は倒産、一家夜逃げという、自分の身に起こると思ってもみなかったことが現実となりました。

大学進学も将来の夢もあきらめて働きはじめたその頃、ふらふらと立ち寄った本屋で何気なく手に取った建築雑誌で、古民家再生の記事に出会ってしまったのです。その瞬間に頭をガツンと横から殴られるような錯覚を覚え「これをやっていこう」と心に決めたのです。「もう建築への道は閉ざされたか」と思う体験を経てこそ、今の自分があります。

古民家の解体、再生の
大工修業時代を通して

photo_moribito_takagi_22

古民家再生の大工修業に山形に行く。そう決めた時は、親戚からも大反対を受けました。しかし修業時代から、文化財の古民家の修復、古民家の移築・再生等、代え難い経験を積ませていただきました。直感を信じてひたすらやってきてよかったと思います。

梁や柱のずっしりとした歴史のこもった重みを、古民家の感触を、図面上ではなく、大工として、体全体を使って、汗をかきながらこの体に叩き込みながら「古民家ってかっこいい」と感じる日々。そんな中で、それが、何百年も積み重ねてきた昔の人の知恵、気候風土に生きる知恵の結晶なのだということを会得していきました。そして今、その古民家から学んだ家づくりをしています。

平成の古民家と呼ばれる家づくりを

photo_moribito_takagi_23

現地再生中の古民家。傷んでいた床を剥がし、床下からつくり直した。

古民家はどんどん取り壊されています。壊されてしまえば、蓄積した技術や知恵はあとかたもなく消え去ってしまいます。その流れを、私一人でどうする事も出来ませんが、先人から伝えられたものを少しでも未来につなげていくために、力の及ぶ限りのことを精一杯したいと思っています。

実際の現場では古民家の移築や再生と並行して、新築でのご依頼も多くなってきました。自分の中では、昔の棟梁の思いを汲みながら解体・再生することも、私が今作る家を100年後の棟梁が「平成の古民家」として触るかもしれないことも、ひとつながりのことです。私が古民家を解体して会得したように、100年後の大工さんが私の建てた家の木組みを見たときに、それをまた伝えていける。新築の時にもそんな心持ちで手がけています。

古民家ライフの家づくりは

photo_moribito_takagi_42

造りたいのは「大和ごころ」を呼び起こす住まい。「大和ごころ」とは、日本の風土の四季の移ろいを、自然を感じるやさしい繊細な心、手間を惜しまず、丁寧に生活する心です。そして心を穏やかに整え、今を最善な状態で居られること。季節に応じて、相手に細やかな配慮をする茶の湯にもそれはあらわれています。そういった心は、機能性第一で作られ、一年中快適で、便利すぎる家には育たないのではないでしょうか。

お客様への誠意と自分自身の覚悟の自己表現として、この山形の地に土地を買い、自分で家を造りました。クーラーはなし、冬は薪ストーブ1台で暮らし、それでも木のぬくもりを感じながら、夏の涼しさ暑さ、冬の寒さあたたかさはこれくらいで、十分に気持ちよく過ごせているということは、毎日住んでいるからこそ言える生活の実感としてお伝えすることができます。

木組みと無垢の木の空間、そして外の自然と断絶せずゆるやかにつながる、木の香りのする家は、本来の自分を取り戻すところ。暮らしていて、毎日がなんだか嬉しいのです。家づくりを通して、みなさんがよりよい暮らしを営めるお手伝いが出来れば幸いです。

食べものを作るように
家をつくる

photo_moribito_takagi_25

自給用に小さな田んぼを、家族でつくっている

家づくりを食べ物にたとえれば、プレハブ住宅のように大量生産され部材を金物で固定し、合板をバンバン打ちつけた家はファストフード。材を選び、一本一本手刻みをして組み上げる「古民家に学ぶ家づくり」は、食べる人のことを思い、安心できる材料を使い、手をかけて作る料理といっしょです。どちらがいい、悪いと言うのではありません。ファストフードの方が手軽で、安いかもしれないですね。けれど、心を入れて造るかどうかで、その出来上がりは全く違ってくることは確かです。

食べ物の話をする時には「身土不二」「地産地消」ということも、言われます。その土地で育ったものを食べるのが、身体にいい、ということです。気候風土に合った家づくりのための木にも同じ事が言えます。古民家ライフでは、150km圏内の東北の山の木を使うようにしています。そして、建主さんを必ず山へお連れします。材木はどんな育ち方をして、どこからやって来たのか? 一生のお付き合いになる家の材木ですから、知っていただきたいからです。

古民家情報マッチングサイト
「古民家ライフ」も運営

photo_moribito_takagi_26

古民家情報マッチングサイト「古民家ライフ」のTOPページ。全国の古民家を扱っている。

古民家に住みたい人が居る一方で、古民家を保ちきれず、潰していかざるを得ない人もいます。そんな中で、住みたい人に住んでもらうことによって、一軒でも古民家を残したい、そんな思いで、古民家を「ゆずりたい人」「住みたい人」のためのマッチングサイトを作りました。集まった情報は、私の方で前に住んでいた人やその家の歴史などを含めて物件を調査・確認し、住むべき人に住んでいただけるよう、屋根の吹き替えや補修工事などの維持管理や住みやすく改修するための相談にも乗らせていただいています。

その家を保つことが負担になってしまった親族の手で終わりを迎えるのは、もったいないような古民家の「いのち」があります。それを継いでいくのが、親族でなくてもよいのではないでしょうか? 社会的なインフラでもあります。一族以外でも、住み継いでいける人が居れば、その古民家は未来に残っていくのです。よかったら、いちど、ご覧ください。

価値観を共有できる人と
家づくりをしたい

photo_moribito_takagi_27

私にとって仕事は、人生そのもの。そして、家づくりは、出会いです。一年に2棟~3棟というペースの小さな工務店ですから、今のところ私が一生に手がけられるのは、60棟くらいでしょうか。だからこそ、同じ価値観を共有できる方と、家づくりをしたいと思っています。

  • 顔が見える関係である事
  • 自然素材である事
  • 国産材である事
  • 手仕事である事
  • 古民家の造りも大好きな方
  • 手造りの家には手間ひまがかかる事を理解している事
  • 体に負担のかからない家を造りたい事
  • 木のにおいのする家
  • 子供たちの笑顔があふれる家
  • 職人さんが誇りに思う家をつくる事

上の項目にピンと来る方との出会えるのを、楽しみにしています。

答えは足元に

photo_moribito_takagi_28

冒頭にもお伝えしましたが代々襲名してきた名前は傳五郎(でんごろう)です。
「傳」という字は「伝える」という字です。ご先祖様の名前に答えがありました。
「受け継ぎ伝える事」を理念としてこれからも皆様のお手伝いが出来るように精進してまいりたいと思います。